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フォーエバー21 tバック編集

 家は空家だったようだが、家具はそろっているし、掃除も行き届いている。  奥の床の間に、「歳月消磨詩句裏/河山浮動酒杯中」という掛軸がかかっていた。左近はその字をながめているうち、ふと表札の『形影庵』はしんきくさい、『紹興庵』にかえてやれ、と思いついて硯箱《すずりばこ》をさがした。  と、「ごめんください」という声がして、玄関にドヤドヤと人が入ってきた。四斗樽が三つ運びこまれた。 「あ、酒樽はもそっとこっちにうつしとくれ。はい、それでいい。結構結構。はい、御苦労さん」  酒屋の配達に指図を取っているのは、年齢不詳の小柄《こがら》な男だった。行李《こうり》を背負い、手に風呂敷《ふろしき》包みを下げている。  男は左近の顔を見ると、かしこまって挨拶《あいさつ》した。 「初めまして。わたし、膳部のどぶ六と申します。金樽《きんそん》教主さまから言いつかりまして、旦那《だんな》さまのお酒のお世話をしにまいりました。ふつつかものではございますが、よろしくお願い申し上げます」 「おう、あがんなさい」と左近は言った。 「おそれいります」  どぶ六と名のる男は以前《まえ》にもこの家にきたことがあるのか、勝手知ったる顔で茶の間をスッと通りぬけ、廊下の角の三畳間に荷物をおろした。 「旦那さま、こちらをわたしの寝間にさせていただいてよござんすか?」 「ああ、いいよ。好きにしなさい」 「では、そうさせていただきます。それから旦那さま、こちらのお台所《だいどこ》には大きな床下がございましたね。そこで白馬《にごりざけ》をつくっていいでしょうか」 「うれしいね。おまえさん、酒がつくれるのかい」 「はい。名は体をあらわすの諺《ことわざ》どおりで。これでも、わたし金樽教主さま直伝で、濁り酒、白酒、甘酒、赤酒、葡萄酒もつくります。ときどき、おためしになってみてください。それから、うちでお酒をめしあがる時は、わたくしが酒の肴をおつくりいたします。急のことで今は何も用意してございませんが、晩はひとつ|あんこう鍋《ヽヽヽヽヽ》でもいたしましょう」 「心強いな。ま、かための杯といこうか」  二人はさっそく樽をあけ、升酒《ますざけ》で乾杯した。どぶ六は風呂敷を広げた。 「あの、何もありませんが、お中食《ひる》に塩にぎりを持ってまいりました。こいつでもつまみになすってください」
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